月日星   (セキレイ)月日星 (セキレイ)

【PDF版】小倉小笠原刀宝刀・名刀録 本編+補遺

2024/9/11 豊前江の極への修行が近づいてきたので無料配布とします。 豊前江と思われる記録がのっている資料のまとめを補遺2として現在鋭意製作中。近いうちにはアップしたいと思っています。 (特に大きな情報のアップデートがある史料ではありません。) 戦時中の小倉小笠原家刀剣(豊前江・博多藤四郎・秋田藤四郎)の疎開についての詳細は↓を参照の事 https://wagtailw.booth.pm/items/5913000 【ご注意】 本書は書籍版の「小倉小笠原家の宝刀・名刀録」とPDFフリー配布の「小倉小笠原家の宝刀・名刀録 補遺」と同一内容です。 ***** 九州玄関口の小倉をおさえる藩主となり「九州探題」とも呼ばれた 西国一の譜代大名であった小倉藩主小笠原家。 豊前江、博多藤四郎、秋田藤四郎、不動行光など現代に伝わる名刀も多く伝来していた。 また甲斐源氏の流れをもつ名門旧家の小笠原家には 家督と共に譲られる家伝の宝刀も多く伝来していた。 それらの小笠原家における史料をひもとく。 **第一部 小倉藩主小笠原家の郷義弘の刀 feat.博多藤四郎 小笠原家には豊前江他二振の郷義弘の刀が維新の頃にはあったとされる。 豊前江に関しては小笠原に在ったこと以外の史料は今の所みあたらず。しかしながら、「小笠原家の郷義弘の刀」に関する史料は多く存在していた。 それらの内容をひもときながら豊前江に関して考察する。 また、郷義弘の刀と陣刀であったとされている博多藤四郎に関しても掘り下げる。 博多藤四郎はいつ、何故小笠原に来たのか? 陣刀ということは出陣経験ありか?などを考察。 **第二部 小倉小笠原家のレガリア宝刀と名刀 小倉小笠原には権威の象徴物品(レガリア)である宝刀が数多く存在していた。 特に、「甲破(かぶとわり)」「古備前正恒」「鶯」「守家」などがある。 *「甲破」は信濃をめぐる武田との戦いの逸話を持ち、将軍吉宗にも台覧された。 *「古備前正恒」は、逸話は伝わっていないが実戦的な拵、ハバキが現存し、刀身には切り込み跡が残る。 重文指定で両国の刀剣博物館蔵のもっとも”リアル”な一振。 *「鶯」と呼ばれた太刀は、当然だが室町中期に家督争いによって分裂した勝山藩主小笠原家のほうに伝来した「鶯太刀友成(鶯丸)」とは別個体である。 小笠原に「鶯」の名を持つ二振があったのは偶然か?必然か? *「守家」は、”結城合戦褒賞として将軍義教から与えられた”という来歴をもつ太刀であるが、勝山家の「鶯丸」もまた同じ来歴を持つ。しかし、その証拠となる将軍からの感状は「鶯丸」に付随していた。「鶯丸の影」である守家の太刀とは? *江戸時代や戦前までの「不動行光」の記録をひもとき、 「不動行光」はいつ我々の思う「不動行光」となったのかを探る。 (検証は不十分です。) *秋田君、江戸時代の小笠原での史料が見つからないっす。 ***補遺***** 2020/6発行の「小倉小笠原家の宝刀・名刀録」では知らなかった史料「小笠原忠真一代覚書」から明らかになった、小倉小笠原家の博多藤四郎、不動行光、鄙田青江、福井江の詳細な来歴を明らかにします。 特に、博多藤四郎、不動行光が小笠原家に入った詳しい経緯など。 **************** 2024/5/27 情報も古くなってきたので価格変更 500円→250円 段階的にフリー配布にしたいと思います。 いつかアップデート版を出したいと思いつつ幾星霜。 2024/9/11 豊前江の極実装記念で価格を更新250円→0円。 数日中に補遺2をアップします。

【PDF版】小倉小笠原刀宝刀・名刀録 本編+補遺
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2024/9/11 豊前江の極への修行が近づいてきたので無料配布とします。 豊前江と思われる記録がのっている資料のまとめを補遺2として現在鋭意製作中。近いうちにはアップしたいと思っています。 (特に大きな情報のアップデートがある史料ではありません。) 戦時中の小倉小笠原家刀剣(豊前江・博多藤四郎・秋田藤四郎)の疎開についての詳細は↓を参照の事 https://wagtailw.booth.pm/items/5913000 【ご注意】 本書は書籍版の「小倉小笠原家の宝刀・名刀録」とPDFフリー配布の「小倉小笠原家の宝刀・名刀録 補遺」と同一内容です。 ***** 九州玄関口の小倉をおさえる藩主となり「九州探題」とも呼ばれた 西国一の譜代大名であった小倉藩主小笠原家。 豊前江、博多藤四郎、秋田藤四郎、不動行光など現代に伝わる名刀も多く伝来していた。 また甲斐源氏の流れをもつ名門旧家の小笠原家には 家督と共に譲られる家伝の宝刀も多く伝来していた。 それらの小笠原家における史料をひもとく。 **第一部 小倉藩主小笠原家の郷義弘の刀 feat.博多藤四郎 小笠原家には豊前江他二振の郷義弘の刀が維新の頃にはあったとされる。 豊前江に関しては小笠原に在ったこと以外の史料は今の所みあたらず。しかしながら、「小笠原家の郷義弘の刀」に関する史料は多く存在していた。 それらの内容をひもときながら豊前江に関して考察する。 また、郷義弘の刀と陣刀であったとされている博多藤四郎に関しても掘り下げる。 博多藤四郎はいつ、何故小笠原に来たのか? 陣刀ということは出陣経験ありか?などを考察。 **第二部 小倉小笠原家のレガリア宝刀と名刀 小倉小笠原には権威の象徴物品(レガリア)である宝刀が数多く存在していた。 特に、「甲破(かぶとわり)」「古備前正恒」「鶯」「守家」などがある。 *「甲破」は信濃をめぐる武田との戦いの逸話を持ち、将軍吉宗にも台覧された。 *「古備前正恒」は、逸話は伝わっていないが実戦的な拵、ハバキが現存し、刀身には切り込み跡が残る。 重文指定で両国の刀剣博物館蔵のもっとも”リアル”な一振。 *「鶯」と呼ばれた太刀は、当然だが室町中期に家督争いによって分裂した勝山藩主小笠原家のほうに伝来した「鶯太刀友成(鶯丸)」とは別個体である。 小笠原に「鶯」の名を持つ二振があったのは偶然か?必然か? *「守家」は、”結城合戦褒賞として将軍義教から与えられた”という来歴をもつ太刀であるが、勝山家の「鶯丸」もまた同じ来歴を持つ。しかし、その証拠となる将軍からの感状は「鶯丸」に付随していた。「鶯丸の影」である守家の太刀とは? *江戸時代や戦前までの「不動行光」の記録をひもとき、 「不動行光」はいつ我々の思う「不動行光」となったのかを探る。 (検証は不十分です。) *秋田君、江戸時代の小笠原での史料が見つからないっす。 ***補遺***** 2020/6発行の「小倉小笠原家の宝刀・名刀録」では知らなかった史料「小笠原忠真一代覚書」から明らかになった、小倉小笠原家の博多藤四郎、不動行光、鄙田青江、福井江の詳細な来歴を明らかにします。 特に、博多藤四郎、不動行光が小笠原家に入った詳しい経緯など。 **************** 2024/5/27 情報も古くなってきたので価格変更 500円→250円 段階的にフリー配布にしたいと思います。 いつかアップデート版を出したいと思いつつ幾星霜。 2024/9/11 豊前江の極実装記念で価格を更新250円→0円。 数日中に補遺2をアップします。